■大阪市生野区の地域課題
クロスベイスの活動拠点がある大阪市生野区にある大阪生野コリアタウン(御幸通商店街)は、大阪でも有数の集客力を誇る個性的な商店街として日々活況を呈している。戦前の日本による朝鮮植民地支配とアジア侵略戦争により、日本への渡航を余儀なくされた在日コリアンたちが戦後この商店街の前面に進出することで発展してきた。植民地と侵略、冷戦と分断、差別と共生の幾重にも積み重なる歴史の狭間の中で、生き抜いてきた商店街だ。いま戦後最悪の日韓関係といわれる事態が進んでいるが、コリアタウンには週末ともなれば韓国の音楽・コスメ・飲食などを求め、若い世代をはじめ多くの来街者で商店街全体が揺れるほどの盛況ぶりだ。
1965年以降の日韓は、植民地支配と侵略戦争の「過去の歴史」に正面から向き合うことなく、かろうじて「管理」することで歴史問題を糊塗しつづけてきた。その結果、いまや日本社会では、それへの「痛切な反省と心からのおわび」という道義的責任さえも放棄しているかのような言説と世論が、平然と跋扈するにいたっている。そうした中にあって、「歴史・政治」とはおおよそ無関係に見える日本の若い世代が、「人・文化」を通じて日韓の断絶の深化に歯止めをかける、それなりの役割を果たしている事実は、いろいろな意味で興味深いところだ。硬直した国同士を、しなやかに包み込む国境を越えた市民社会の形成の重要さを再認識させてくれる。
一方、いま生野区は超少子高齢化、子どもの貧困化、多国籍・多民族化への対応の遅れなどから、深刻な社会問題に直面している。現在、同商店街がある生野区西部地域では数年後に12校ある公立小学校が4校に縮小再編される計画が、紆余曲折を経ながら進められている。また、生野区の5軒に1件以上が空き家という状況だ。同区における低所得家庭の子どもに支給される就学援助費の受給率は34.6%(2016年度)に上り、全国平均の2倍以上。「体感温度」でいえば、その比率はもっと高いだろう。
さらに13万人の区民のうち、在日コリアンをはじめとする外国籍住民の比率は20%を越え、全国1700を超える市区町村の第2位で、都市部では日本一だ。いまや世界60カ国以上の外国人が地域でともに暮らす多国籍・多民族のまちに大きく変わろうとしている。生野区は日本社会の近未来の社会問題が凝縮された、全国でも際立った都市部の「課題先進エリア」のひとつといえる。何ごともそうであるように「ピンチはチャンス」。ヒト・モノ・コトなどの豊かな地域資源を掘り起こすことで、寛容で活力あふれるまちへと飛躍していくのか、ずるずるとこのまま衰退の道をたどるのか、いま生野区はその分岐点にある。そうした中、いろいろな人が、じわじわとまちづくりに動き出している。「分岐点」にある大阪・生野区が、いま面白い。
■「IKUNO・多文化ふらっと」の発足
今年6月、大阪市生野区において「IKUNO・多文化ふらっと」という市民団体が発足した。その発足記念シンポジウム「大阪市生野区 市民主役で多文化共生のまちづくりに挑戦する!」には、大雨にもかかわらず、約150名の市民らが参加して熱気あふれる議論を行った。「多文化ふらっと」は、市民一人ひとりを構成員に「人権尊重を基調とした多文化共生のまちづくり」をめざし、人的交流と論議、情報交換と共有、学びの場を保障することで、「多文化共生の生野区モデルの構築」に寄与することを目的としたプラットホームだ。私も事務局担当として参加している。
1部の記念講演では、大阪大学大学院准教授の高谷幸さんが、「外国人労働者の受け入れと、今後の地域まちづくり」をテーマに、外国人労働者の受け入れ拡大と日本の移民政策、移民政策不在の帰結としての移住者の格差と差別の放置状況などについて解説した。2部のデスカッション「<次の一手>を考える」では、生野区在住の在日コリアン、ニューカマーのインドネシア人に加えて、研究者、生野区長がパネリストとして登壇する中、「多文化ふらっと」から3つの具体的なプロジェクトが提案された。
第1に、生野区の多文化共生のまちづくりニーズを探り、施策にまとめるための「調査・提言」プロジェクト。第2に、外国人と地域の日本人との多様な出会いと交流の機会をつくる「多文化イベント」プロジェクト、具体的には昨年12月生野区役所が主催し、700名程の外国人と日本人が参加した「TATAMI TALK」イベントの成果を引き継ぎ官民協働で実施すること。第3に、「多文化共生の拠点づくり」プロジェクトとして、生野区での多文化交流センター(仮称)の設立を提案した。それぞれのプロジェクトは学校跡地の活用の動きと連動しながら、すでに動き始めている。
今秋から大阪市立大学や京都造形芸術大学のゼミ学生たちの授業と連携して、第一次の調査活動が始まる。多文化イベントは、来年5月10日の開催を目指して準備が進められている。生野コリアタウンに隣接する御幸森小学校の跡地活用を視野に入れながら、多文化共生センター(仮)設立に向けた具体的な議論が始まっている。もちろん、それぞれのプロジェクトの実現には約束されたものは、いまだ何もない。課題は山積みだ。今月11月18日(月)には公開セミナー(生野区民センター)を開催予定だ。そもそも多文化共生はなぜ必要なのか。「生野区モデル」とは具体的にどういうことなのか。多文化共生のまちづくりを進めるうえで、行政と市民との協働はどうあるべきなのか。こうした点を「深堀り」する機会になればと思う。関心のある方は、ぜひ気楽に参加していただければ有難い。https://www.cross-base.org/blog/11-18
■「多文化ふらっと」とSDGs
発足シンポジウムの最後に講演者の高谷さんは、世界で取り組まれているSDGsの普遍的な価値のひとつである「誰一人取り残さない」という理念が、多文化共生のまちづくりにとっても重要であることを強調した。SDGsとは、2015年9月の国連サミットで採択された「我々は変革する:持続可能な開発のための2030アジェンダ」に記された2016年から2030年までの国際目標だ。持続可能な世界を実現するための17のゴールと169のターゲットから構成されている。
生野区における市民主導の多文化共生のまちづくりの活動は、たとえ地域の小さな動きであっても、SDGsの普遍的な価値や理念と連動していると考えている。現状を「解釈」するだけにとどまることなく、たとえ「1センチ」であっても具体的な変化をつくりだしていかなければならない。その際に特に重要なのは、経済成長と社会的包摂と環境保護の、一見すると相矛盾する3つの側面を統合的に進めることを謳っているSDGsの中で、社会の片隅に押しやられ「生きづらさ」を感じている人々が、社会の構成員として人間らしく生きていけるようにするための社会的包摂の視点だ。なぜなら、日本社会で取り組まれている政府や企業レベルのSDGsの活動を概観すると、この視点が著しく欠落しているように見えるからだ。
地域社会や人々が抱える現実の不条理な苦痛と向き合い、その解決に向けて格闘しない活動は机上の空論になり、持続的な活動に向けた生命力をもたない一過性の流行りに終わりがちだ。こうした弱さを克服していくためには、自分自身と不条理な苦痛が横溢する現場を切り結ぶ「場」の経験と共有が不可欠だ。クロスベイスの学習サポート教室には、不登校の子ども、スリランカの難民の子ども、在留資格が不安定なフィリピンの子どもたちも通っている。子どもたちの行く末を考えるとき、とても一筋縄ではいかない。
人は誰もが、自分がここにいる理由が欲しいものだ。あらゆる世代が、特に未来を生きる子どもたちが、自分がここにいなければならない決定的な理由を見つけられない難しい時代を生きている。AIの進化が加速する一方で、「教科書を読めない」(つまり意味が分からない)子どもたちが増える中、「しんどい」家庭の子どもたちに対して「頑張れば、報われる」などと無邪気な「自己責任論」を振りまく大人の発言ほど、不平等な社会構造を不問にした無責任なものはない。
クロスベイスには、本当に多様な背景を持つ子どもたちが関わっている。未来の社会の縮図だ。地元の中学校に通うサッカー好きなネパール人と快活な在日コリアンの子どもたちが、米国とドイツで暮らしてきた日本の大学生に数学を教わっている。ガヤガヤ、わいわいと結構うるさい。隣のテーブルでは、民族学校に所属する不登校の在日コリアンの中学生と、朴訥な日本の大学生が、一緒に英語を勉強している。ボソボソと話す会話が、こちらが心配になるほどぎこちない。中国とベトナムの中学生は、体験活動を通じて姉妹のように屈託なく仲が良くなった。そこには、誰もがここにいていいという心地よい空気感が流れている。クロスベイスでは、「自分のことは自分で決める」ことを最も大切な価値としながら、認め/認められる関係づくりを目指している。「言うは易し、行うは難し」だが。多文化共生のまちづくりとは、こうした空気感がまち全体に広がり、仕組みとして保障されていることかもしれない。
「IKUNO・多文化ふらっと」の活動は、これからが本番だ。何か新しいことを始めるときには、いろいろと「雑音」が耳に入ってくるものだ。「時期尚早だ」「手続き上に問題がある」「実現可能なのか」と。特に、3つ目の問いは厄介だ。ある意味、しない、させないための呪いの言葉だ。なにか始めるときに、「可能なのか」という問いは人に不安をもたらし、「必要なのか」という問いは人に勇気を与えるものだ、ということを聞いたことがある。いま、生野区における多文化共生のまちづくりは「必要なのか」という問いに、私は大きな声で「YES」と応えたい。生野の地で、仲間たちとゆっくり、急ぎながら活動を進めたいと思う。