猛暑が続く8月のある日、私の携帯に1通のメールが届いた。
Watashi Kyufukin apply dekireba.. (できればわたし給付金を申請したい)
Please Help me song sang. (どうかわたしを助けてください。宋さん)
クロスベイスの学習サポート教室に子どもを通わせているニューカマー外国人のひとり親のお母さんからだ。日本語が不自由なそのお母さんとのメールのやり取りは、いつもローマ字と片言の英語のやりとりだ。これまでも他のNPOや関係機関と連携・協力しながら、子どもの呼び寄せに伴う在留資格の取得、就学、児童扶養手当、健康保険の手続きなどで区役所、学校、病院への同行などに関わってきた。当初子どもの在留資格の変更も入国管理局に拒否され、親子で一緒に生活すること自体すら危うい、綱渡り的なスタートから始まった。ただ今回のように「Help me」と表現してきたのは初めてのこと。新型コロナ禍が猛威をふるう中で、生活と気持ちがぎりぎりまで追い詰められているのだ。
その若いお母さんは真面目な性格で、子どもの成長のために日々懸命に働き生きている。しかし最近、非正規で働く職場は今回のコロナ禍により仕事が減少し、将来を考えると不安が募り、ストレスのせいか体調も思わしくない。さまざまな情報へのアクセスが限られ、同郷人の小さなコミュニティしかなく社会的にも孤立しがちだ。いつもそうであるように、大きな災害や社会変化が起こるたびに、社会的に弱い立場の人が真っ先に、その影響に直撃される。外国人相談業務にかかわる人から、この1か月間だけで900件以上の相談件数があったと聞いた。
区役所に各種手続きのために同行するたびに、在日外国人の人権は権利としての後ろ盾になるべき法制度に護られることなく、個人が「丸裸」で対峙せざるを得ない現実を痛感する。ときおり、日本で暮らす外国人の人権保障は、憲法や法律でどこまで保障されているのか、と考え込んでしまう。憲法上、在日外国人の基本的人権は、権利の性質上日本国民のみをその対象としているものを除き、在日外国人にも等しく及ぶことは、いわゆる1978年の「マクリーン事件」の最高裁判決として知っている。「外国人在留制度の枠内において与えられているにすぎない」ことを含めて。在日外国人にも基本的人権は等しく及ぶといいながら、現実は在日外国人の前には国民国家という険しい高い山が立ちはだかっている。
日本社会には在日外国人の基本的人権を擁護し、多文化共生や在日外国人施策について政府や自治体の基本的な考えや責務を謳う「在日外国人基本法」がない。総合的かつ包括的な施策や具体的な事業を後押しする「在日外国人総合支援法」もない。そのためにほとんどの国レベルの施策も法的根拠のある制度ではなく、ましてや地方自治体の在日外国人施策や多文化共生施策は首長などの属人的な要因に左右されることになる。2006年に総務省が地方自治体に要望した「地域における多文化共生推進プラン」の策定状況が、そのことを如実に物語っている。14年を経ているにもかかわらず、法的根拠がないために全国地方自治体の半数以上(51%)が、いまだに多文化共生の推進にかかわる指針・計画を策定していない状況にある。
策定している自治体においても、施策推進に向けた財政的・人的な裏打ちがない「お飾り」の指針・計画になっている場合が多いことも想像に難くない。あるいは指針・計画の内容が、外国人の定住化にともなって発生する問題をいかに解決し、日本社会や地域社会の安定化と経済の活性化につなげるか、というあくまでマジョリティ側の利害からの視点であり、マイノリティ側の「最善の利益」の保障という視点が欠落したものも少なくないのではないか。
例えば、2011年に改定された「障害者基本法」の障害者の定義のなかには、「障害及び社会的障壁により継続的に日常生活、…」と、「社会的障壁」という文言が挿入されるようになった。「障害とは個人にあるのではなく、社会がもたらしたもの」という「社会モデル」の考え方が法律に盛り込まれたことは画期的な変化であった。こうした背景に、北欧から始まったノーマライゼーションの理念の国際的な潮流や、なにより当事者による不条理な現実に対する不断の闘いがあったことは言うまでもない。「社会モデル」の考え方により、駅にエレベータが完備され、道路の段差が整備されるなど、不十分ではあれ障害者が「障害」と感じない環境づくりが徐々に進められてきている。
ひるがえって、在日外国人に対する「社会モデル」という考え方は、日本社会で社会的なコンセンサスがあるだろうか。日本社会で生活していくために「日本語教育推進法」が制定され、地域社会において「やさしい日本語」キャンペーンが実施されていることの限界性も同時に、真摯に問われなければならないだろう。多文化共生社会の進展には、そのための法制度の整備と意識改革が両輪でなければならない。この両輪は互いの発展の前提なのだ。
1990年代後半に、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)では300万人の命が奪われたといわれる深刻な飢餓状況に直面した。当時、私もこの問題にかかわったことがあった。同族相食む戦争を経てもなお、北朝鮮の人道支援に全力を尽くす韓国NGOのリーダーが言い放った言葉がいまだに鮮明に脳裏に焼き付いている。政治的立場とは別に、「飢えている人は食べなければならない。病気の人は治療を受けなければならない。子どもは学ばなければならない」。そこには特別な理由はいらない。すべての人は、生まれながらに自由であり平等である、という人権の原点に立ち返って、これからも微力ではあっても「Help me」に応えることができるNPOでありたいと思う。