クロスベイスに関わる人のコラム「交差点。」vol. 2
宋悟 代表理事
クロスベイスに今関わる人は、なぜクロスベイスに関わり・交わったのか。クロスベイスに関わる人の歩みや思いを届けるコラムシリーズ、「交差点。」です。
魔法の言葉
早春の到来を告げる三寒四温の日々が続いている。クロスベイスの事務所を大阪生野コリアタウンの真ん中に開設してから早いもので1年がたつ。2年前に50代半ばの年齢で、前の職場を早期退職した。なにか次の仕事が約束されていたわけではない。そのとき社会活動をしていた20代のころに先輩から言われた「行く道は、来た道に聞け」という言葉を思い出した。それで自身が在日コリアンであること、子どもや若者に関わってきたこと、生野区で暮らしてきたこと、にかかわるNPO法人をつくることに決めた。
その後、初回のブログに登場した朴基浩さんと、縁あって1年間「ああでもない、こうでもない」と喫茶店の会議室で議論を積み重ねた。朴さんは私の息子とほぼ同世代だ。ただ議論するときは結構、相手に容赦ない。「宋さん、考え抜いていますか~」「ロジックに落とし込めていない」などの手厳しい批判が飛んでくる(笑)。一方で、若いわりにオジサン的な「義理人情」にも厚い。骨太で才能豊かな相棒だ。
のちに理事となる榎井さんと今井さんらも議論に加わり、「差別と貧困をなくし、ともに生きる社会をつくる」というクロスベイスのビジョンができあがった。たった1行のビジョンをつくるのに1年かかってしまった。自らの非才と怠惰を恥じ入るばかりだ。
その朴さんが今年2月に地元の小学校6年生の授業の講師に呼ばれた。授業終了後に、担当の先生が、やや興奮の面持ちで事務所にやってきた。私が推薦した手前、「授業どうでしたか」と聞くと、子どもたち60数名の感想文を見せながら、その様子を語ってくれた。「普段、喜怒哀楽をあまり見せない子どもたちが、2時間の授業の間、生き生きとした表情ですごい集中力だった。他の先生も驚いていた。感想文も子どもたちが一気呵成に書き上げた」と。
図書室で行われた朴さんの授業は、寝転んだりするのもよし、という自由な雰囲気のなか始まったらしい。自分の生い立ち、社会のこと、世界のことをテーマに、クイズ形式で行われた。中退してアメリカの高校へ留学したこと、思春期に警察に「厄介」になったこと、留学中に「(独り)ぼっち」になったこと、アフリカで少年兵と出会ったこと、日本の自殺者が年間2万人を超えていること、人工知能(AI)の進化によって今ある職業の半数がなくなることなど。朴さんのことだから、少々悲哀を込めた笑いも交えながら「容赦なく」話したのだろう。想像に難くない。
感想文を読んで驚いた。ほぼ全員が「自分のことは自分で決める」という言葉が心に残ったと、文字通り「熱」を帯びた筆致で書かれていた。この日、朴さんが子どもたちに伝えたかったメッセージだ。後日談だが、同じ小学校で、この言葉の持つ魔法の力を目の当たりにする出来事もあった。それにしても、どうしてこれほど、この言葉は子どもたちの心を揺さぶることになったのだろうか。もちろん朴さんの豊富な実体験に基づく巧みな話術もあったのだろう。しかしなにより、子どもたちを取り巻く学校や社会に張りめぐらされている固い「同調圧力」を打ち破る人の存在と考え方に出会い、とても鮮烈な印象を受けたのではないかと思う。
逆に、このことは今の日本で暮らす子どもたちの周りで、「自分のことは自分で決める」環境や雰囲気が大きく損なわれていることの証左でもあるに違いない。教員が最も嫌う子どもの権利は「意見表明権」だと聞いたことがある。また格差リスク社会が広がるなかで、親の富と願望が子どもの人生を決めるという「ペアレントクラシー」の考え方が、説得力を持ちながら広がっているように見える。まったく身も蓋もない。
そうした結果、子どもたちは自分で決める経験をせずに、他人の評価や視線ばかりを過度に気にするようになる。そもそも「自分のことは自分で決める」とは、誰もが生まれながらに持ち、誰にも譲り渡すことができない基本的人権の「一丁目一番地」ではないか。近代社会以前の階級社会に逆戻りしたかのような息苦しい社会状況が、子どもたちの自己選択権を奪っている。
そうした子どもたちが社会人になったとたん、今度は断崖絶壁から飛び降りるかのように「自己決定・自己責任」の価値観に無防備にさらされる。「学生時代とは違う。社会人なのだから」という大人のシニカルな言葉とともに。逆ではないか。子どものときには「自分のことは自分で決める」ことを学び、大人になれば真に自立するために「複数の依存先を持つ」考え方とすべを身につけるべきではないか、と思う。いやいや、この二つの考え方は前後の問題でも、対立するものでもなく、互いの発展の前提となっているものだ。これからのクロスベイスの活動でも大切にしたい価値観だ。朴さん、魔法の言葉をありがとう。