【クロスベイスに関わる人のコラム「交差点。」】vol. 9
土肥いつき
全国在日外国人教育研究協議会事務局次長/京都府立高校教員
クロスベイスアドバイザー
クロスベイスに集う人の歩みや思いを届けるコラムシリーズ、「交差点。」です。
宋悟さんがなにやらNPOを立ちあげるらしいということを聞いたのは、2016年10月のことでした。その時の感想は、率直に言って「また無謀なことを。食べていけますのん?」でした。さらに、そこには古くからの友人である榎井さんや今井さんがからんでいるらしいという情報もキャッチしました。そして、いま振り返ると運命だった10月12日が来ました。当日のわたしの日記を見ると、次のような文字が書かれています。
で、大阪へ移動。なんか、Sんさん・Eのいさん・Kよぽんが謀議をしてるとか。なぜかそこに乱入しちゃいました。
そこであーだこーだしゃべっているうちに、わたしも巻き込まれたみたいで、これはヤバイなと。てことで、最後は缶チューハイでクールダウン。10時半くらいにおひらきです。
さてと。帰ろう…。
その日、わたしは梅田のとある居酒屋で宋さん・榎井さん・今井さんが飲んでいるという情報を聞きつけて、おもしろそうだなと思って参加したのです。その場所で、突然宋さんから「いつきさん、アドバイザーをやって」と言われました。きっと、はじめから思っていたのではなく、その場で突然思いつかれたんだと思います。その時のわたしの気持ちは、正直「マジか…」でした。
わたしは長い間、在日朝鮮人教育に、日本人としてかかわってきました。長くかかわっていると、当事者同士のケンカを目にすることもあります。時に、日本人の友だちがケンカに巻き込まれることもあります。そんな友だちを見て「ああはなりたくない」と思っていました。そんなわたしは、宋さんが鶴橋でNPOを立ちあげると聞いた時、とっさに「これはヤバイ」と直感したのです。当然その時、率直に言いました。「ケンカに巻き込まないでくださいね」。宋さんはにっこり笑いながら「ケンカなんかしないよ。大丈夫」と言われました。でも、わたしには宋さんの向こうに泥舟が見えていました(笑)。
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もともとわたしは大学時代から鉄砲玉のような人間でした。難しいことはわかりません。会議では終始沈黙ですが、デモになると元気がでるタイプでした。今でもアジビラや基調報告を書ける気がしません。他の人からは「活動家」タイプと見られるようですが、自分では「実践家」だと思っています。政策提言やロビイングよりも子どもの居場所づくり、会議よりも呑み会、そして純粋であるよりも雑多であること。人と人が出会って、そこで化学反応が起こる。そこに自分がいるのが楽しみという人間です。
そんなわたしにとって、「出会いを阻害するもの」があります。それは例えばヘイトスピーチです。2013年3月に、鶴橋で当時中学生だった子どもが「鶴橋大虐殺」と叫びました。自分にとって大切な人々が「虐殺」の対象となる。あのできごとは、違和感を通り越してショックでした。自分にとってできることはなんだろうと考え、わたしはカウンターに参加するようになりました。
カウンターへの参加は、わたしに大きな影響を与えました。誰もが「差別はよくない」「人権は大切」と言います。でも、例えば教員の中にも「本当にそう思ってるの?」と思わざるを得ない行動をしてる人がたまにいます。あるいはそこまではいかないまでも、多くの人に「思ってるだけなんちゃうん」という感じを抱いていました。でも、カウンターの人たちは、本気で「差別はよくない」「人権は大切」と考え、具体的に動いています。そんな人たちとつきあいが深まる中で、少しずつ「人を信じてもいいのかもしれない」と思いはじめ、職場でも心を開くことができるようになりました。すると、たくさんの教員と人権の話ができるようになりました。結局壁をつくっていたのはわたしだったんだなって思いました。たぶん、その壁を崩すことで、同僚たちと出会い直すことができたのかなと思います。
そんなわたしにとって、クロスベイスのVISION「差別と貧困をなくし、ともに生きる社会をつくる」ということ。そして「解決するために必要なこと」としてあげられた「違うもの同士が出会い・つながる関係性が、貧困や差別のない社会の土台になると私たちは考えます」は、とても心に響いてきます。
そんなことを目指すクロスベイスに、わたしなりになんらかのかかわりの場を与えていただいたことに感謝するとともに、できることをやっていきたいなと思っています。
ちなみに、「ケンカ」の話は杞憂であることがわかってホッとしたのですが、理想に燃える宋さんに、事務局のこれまた古くからの友人である金和永さんが振りまわされないかが目下の不安です。が、そこはしっかりものの朴基浩さんがなんとかしてくださるんだろうなと…。